行動分析学TIPS:想いは力、言葉は魔法❤︎

行動分析学を学んでいる、学ぼうとしている方へ何かを発信しようとする試みの一つです(`・∀・´)b

【100冊レビューvol.2】「言葉にできる」は武器になる。 梅田悟司

こんにちは!

行動アシストラボ研究員/ツタワリスト(伝え方研究家)の愛里です。

 

今回は100冊レビューの2冊目です。

早速ですがどうぞ!


タイトル:「言葉にできる」は武器になる。

著者:  梅田悟司

出版社:日本経済新聞社

出版年:2016/08/25

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①著者紹介

梅田悟司 株式会社電通のコピーライター、コンセプター

1979年生まれ。カンヌ広告賞、グッドデザイン賞をはじめとして国内外30以上の賞を受賞。

直近のコピーライト ジョージア『世界は誰かの仕事でできている。』 など。

 


②こんな人におすすめ

1人でも多くの人の心に響く言葉を生み出すための指南書。

 


言葉を自分の中から生み出すにあたり、具体的な流れや方法論を望んでいる人、

これまでの技術的方法論だけでは何か足りないと感じている人、

また、感情を含んだ話よりも、論文的なテキパキさを好む人におすすめ。

 


理由は、

 


・考えを深める思考サイクル として7つの手順

・日本語の「型」を知る   として5つの型

・言葉のプロが実践する、もう1歩先 として7つの方法

 


がそれぞれ用意され、さらに言葉を磨く技術のその前段階の必要性についても言及されているからだ。

 


③この本の概要・特徴

本書でユニークな点として、「T字型思考法」というものが紹介されている。

その方法を説明する前に、まずはなぜこの思考法が必要か、というお話から始めよう。

 


人の生活が多様性を増すのに比例するように、問題解決の方法論もまた数えきれないほど溢れてきているのではないかと私は感じている。

 


その中で、コミュニケーションにおいてあるいはマーケティングにおいて切っても切れない「表現」の磨き方もまた世に溢れていることは明らかだろう。

 


だが、実際のところそれを知ってもうまく実践できていない人が数多くいる。これはなぜか。

 


著者の答えはこうだ。

 


*****

「言葉」とはそもそも相手に自分の意見を伝えるための道具にすぎず、本当に大事なのはそもそもの「意見」ではないのか。

考えていないことは話せないし言葉にもできない。

だからまずは、自分の中で発せられる「内なる言葉」を育てる必要がある、と。

*****

 


内なる言葉を育てるとはすなわち、もっと自分の気持ちを把握することである。

 


もう少し詳しく言うなら例えば、「うれしい」「悲しい」「楽しい」をもっと深くまで踏み込んだ別の言葉で言えるようにする、ということだ。

 


ここで先に挙げた「T字型思考法」が登場する。

 


内なる言葉を、「なぜ?」によって深め、「それで?」によって先へ進め、「本当に?」によって戻してみる。

 


すると上っ面をなめるようであった表現がだんだんと味や色を呈し、初めて磨かれるべき原石になるのだ。

 


この後は、②で書いたような5つの型、7つの方法を用いてさらに「言葉」として磨き上げていくことができる。

 


④この本のいう「伝える」とは

気持ちを言葉にできること。

 


と私は理解した。

 


そのために、いかにして自分の内なる言葉を大切に育て上げられるか。

そのために、いかにして自分との対話の時間をつくるか。

 


そう。「伝える」とは、自分との対話だ。

 


・・・伝えること、というよりは「言葉のつくりかた」に重きを置いた本のため、

「伝え方」というキーワードの切り口ではこれ以上受け取れず。。。ぬぅ。

 


⑤ピックアップ!

 


  ”形を与える”

 


p73 「頭の中をぐるぐると回っている内なる言葉を書き出して、形を与えること」

 


途中、「考える」と「思い出す」は違う、という話が出てくる。

私たちが思考停止、あるいは堂々巡りに陥る場合、考えているつもりでただ思い出していることがあるという。

 


その通りだと思った。

 


「思い出す」場から脱却して「考える」スイッチを入れるためには今頭に浮かんでいるすべてを書き出して”形を与える”べし、と。

 


形を与える。

 


この表現がいたく気に入った。

 


私たちのこの世界は目に見えるもの、物理的なものを共有することで成り立っている。

 


しかし物に溢れかえっている今、だんだんと私たちの目は、心や、自分自身や、目に見えない何かを見始めているように思う。

 


でも。

でもまだ、みえないところをそのまま共有するまではできていない。

 


自分の持ちうる言葉が深みを増すということは、見えないところの共有をより深く可能にしてくれるのではないか。

形を与えるとはすなわち、私たちの日々に新しい可能性を与えることなのではないだろうか。

 


★おまけ:なぜ私は梅田さんの本からは”人間味”のようなものを感じないのか?

 


私がこの問いを発した時点でわかったこととして、私はたとえ相手が本であったとしてもそこに「人間味」を感じたい人間なんだ、ということだ。

 


それほど私にとって“人間味”は大事なものらしい。

 


では”人間味”とは何か。

 


その人自身の体験や感情の集まり。表情や態度、動きなど。

その人がこれまでに体験してきた経験、過去、その時々に何を見て何を思ったのか、何を変化させ、何に挑戦し、次は何をしようと思っているのか。

これから何を望み、何に期待し、何に尽力していきたいと願っているのか。

 


少なくとも現時点の私はこう考えている。

 


さて、ここまで文章を書いていて途中で気づいたが、前回vol.1のズーニーさんの本について書いたときの私はこんな口調ではなかった。・・・気がする。

なんというか、書いている自分の中の気持ちが、前回よりも固い。

 


というのも、自分による自分の評価では、私は外部からの影響を多大に受ける。

 


いや、盛大に受ける。

 


これはつまり、前回読んだズーニーさんの本はもっと柔らかい表現が多くて、今回の梅田さんの表現はそれと比べて固いものだったのではないか・・・?

 


・・・

 


どうしても気になったので、今ズーニーさんの本を再度開いて確認してみた。

すると、なんとズーニーさんの本も今回の本と同じく「だ・である調」で書かれていた。

 


まじか!!!

 


私としてはちょっと衝撃だ。

読んだ時の印象は、もっとこう、お布団のように柔らかく、2日目のおでんのように心に染み込んできたのに。

 


ではいったいどこから、何から、私はそんな印象を持ったのだろう。

 


もう一度2冊を開き比べてみると、明らかなる違いを発見した。

それは、

 


ズーニーさんは、まるで目の前にいて私に語りかけてくれるかのような「だ・である調」なのに対し、

梅田さんの場合は、そこにあるのはただの「文字」なのだ。誤解を恐れずにいうならば、「新聞記事」に近い?ような「だ・である調」なのだ。

 


まだ抽象的だ。もうちょっと検証してみよう。

 


いったいどこのどの表現からこのような違いを感じたのか?

 


みつけた。

 


今の私の中の推測では、どうやら本全体にわたっての、各文の「主語」によって判断していたようだ。

 


ズーニーさんの場合、各文章の主語は「ズーニーさん」あるいは「ズーニーさんを含んだ私たち(読者)」であることが多い。

英語でいうところの、「I」または「We」だ。

 


対して、梅田さんの場合の主語はおそらくほとんどが「あの人」(歴史上の人物など)または「あなた」(読者)。

つまり「He/She」「You」だ。

 


アドラー心理学や、その他カウンセリングについて学ぶとき、よく「アイメッセージ」と「ユーメッセージ」という考え方が出てくるが、

まさかこんなところでこの話を思い出すことになるとは思わなかった。

 


そこで教わるとおりに、私はアイメッセージから温かみを、ユーメッセージから評価や距離を感じていたようだ。

 


なるほどやはり「表現」の世界は奥深くて面白い。

 


さて、ここまで書いてみると、私がまるで梅田さんのことを批判しているようにうつることがあるかもしれない。

もしそうだとしたら、そこは謝罪したい。

私の好みが「人間味」である以上、どうしてもその要素が感じられないものに対しては一定以上の感情をもっての表現ができなくなるようだ。

それが「愛里らしさ」ということでどうかご容赦願いたい。

 


最後までお読みくださったあなた。

本当にありがとう。

何かを一部でも共有できていること、とても嬉しく思います。

ぜひ感想や応援メッセージお待ちしております。